分かったって言うこと


「わかった」って思っている人が一番危ないです。

 

「どんな正しいと思われる事でも常に再考された方が良い」と思います。

 

分かる=理解するって事はどういう事かを考えていきましょう。

 

例えば、[あなたのお気に入りの映画や本]があるとします。

あなたの友人は同じように感じれますか?

 

答えはNOです。
例えば[良い映画]などの作品って、こうではないでしょうか?

 

映画や本は、自分自身の今までの人生の経験や知識などから、共感して主人公やその周りの登場人物に感情移入していき、その原作者や著者、映画監督の表現するメッセージに共感していく事によって感動なりが生まれてくるわけで、自分自身の経験がないと理解度が浅くなるわけで、それを極端な例で言うなら、私たちはそもそもが[日本語」と言う後天的なツールによって物を考えています。

 

(日本人なら)その映画や作品が全く分からない外国語で出来ていたら理解、共感出来るのか?って事です。

 

映画など視覚的な作品出あればもっと分かりやすいですね。感受性にもよりますが、絵や表情で理解できなくはないですが、その作品の言語を持った人よりも格段に理解度は下がります。

 

日本語も実はそうだったりします。

 

実は、私たちはあまり気がついていませんが、私たちは同じ日本語を使っているようで、一人一人違った言語を使っています。

 

 

例えば、借金と聞いてどう思いますか?住宅ローン、マイカーローン早く返済したらラクになる。って思う人もいますよね。事業主だったら、もっと借金できたら事業が拡大できるのに、貸してくれないかな?って思う人もいますよね。そこで銀行の営業マンだったら、借金してくれないかな?って思ったりしますよね。

 

 

その他まだまだ無限に借金って言葉について受け取り方が違ってくる訳ですよね。それが一例です。

 

[自分の過去の借金と言う言葉の経験や知識から、自分自身が[勝手]に意味を解釈して理解するわけです」

 

ここで、「ちょっと待てよ?なんでこの人はこう言ったんだ?って一歩深く考えてみませんか?」

 

すべてが「何で?」って所から始まります。
ココでも[広い視野と柔軟な発想]ですね。

 

もっと言えば、こう言うことです。「時をあけて同じ本や映画を見ても、[あれ?もしかしてココってこういう意味だったの?]って思うことありませんか?

 

 

それは、最初にその作品を見たり読んだりした頃よりも、人生経験が増えて、知識や経験が増えた結果より深くその作品が言っている事を理解し、より理解度が深まったと言うことです。

 

一番注意していただきたいのは、「わかった!」つもりにならない事です。ココでは[分かった!つもり聖人]とでも言っておきましょうか(笑)あえて星人じゃないところがミソ(笑)<言わないと分からない人もいるかと思って説明してみる。

 

分かったつもりの人は、「正解の世界」にどっぷりとハマり、後には排他的になっていく人も見受けられます。正解は各々の心の中です(笑)
私たちもこうして記事をリリースしていく際には、最終バージョンでは結構気を使います。

 

考えて考えてを繰り返していきます。

[考えると言うこと]

 

その結果、みんなで話し合い、編集してリリースしています。

 

それをしていると、なかなかリリースが出来ないジレンマに耐えかねて、完成度の低い文章でのプレリリースばかりになってしまっている状態もありますが、、、申し訳ない限りです。努力と根性でそにうちやりきります。

 

「明日から本気出します!毎日ですが(笑)」

 

 

そんなわけで、今回の格言

 

[どんな正しいと思われることでも常に再考の余地を持とう]

 

文章・店長さんとシッタカブッダ